映画とドラマに沼る主婦

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 韓国ドラマ「トンイ」の軌跡: 賤民から王の側室へ N0-03

3. 第二章: スクチョン王の側室への昇進



トンイの運命は、彼女が王の目に留まったことで大きく変わりました。彼女は、宮廷内での勤勉さと美貌により、粛宗の注目を集めるようになります。当時、王の側室に選ばれることは、女性にとって非常に名誉なことであり、同時に多くの責任を伴う重要な役割でした。

トンイは、粛宗の側室として選ばれた後、彼女の地位は「側室」から「淑嬪」として昇格しました。淑嬪は、王の側室の中でも特に高い地位を示す称号であり、王の子供を産むことが期待されていました。トンイはこの地位を通じて、王宮内での影響力を持つようになり、政治的な意見を持つことも許されるようになります。



トンイが粛宗の側室として選ばれた経緯は、彼女の賢明さと美しさによるものでした。彼女は、掌学院の奴婢として宮廷に入り、その後、監察府の女官を経て、王の寵愛を受けることで「承恩尚宮(スンウンサングン)」という特別な地位に昇格しました。この地位は正五品に相当し、側室の中でも高い階級でした。

粛宗は14歳で即位し、46年間という長きにわたって国を治めました。彼の治世は、強い党派を弱体化させることで王権を強化する「換局」と呼ばれる政治手法によって特徴づけられます。この政治的背景の中で、トンイは粛宗の側室として重要な役割を果たしました。

トンイは粛宗の側室として、3人の息子を産みました。最初の息子は永寿君(ヨンスグン)と名付けられましたが、わずか2カ月で亡くなりました。2番目の息子は李昑(イ・グム)で、後の英祖(ヨンジョ)です。彼女の息子たちのうち、英祖だけが成人し、国王に即位しました。トンイ自身は、息子が国王になることを見ることなく1718年に亡くなりました。

彼女の人生は、我が子を失うという深い悲しみと、1人の子が国王になるという喜びの間で揺れ動いたと思われます。