映画とドラマに沼る主婦

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NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』の第79話のあらすじは以下のとおりです。

第16週 「若き者たち」 

第79話は、震災後の未来を模索しながらも、痛みと葛藤を抱える若者たちの心情が交錯する場面が展開されました。この回は、歴史ドラマの大河に流れるような濃厚な人間ドラマが描かれ、若者が希望や重責と向き合う様が、戦国時代のような苛烈な時代背景と重なるようにも感じられます。

まず、百音(もね)と幼馴染たちは、震災への思いや自分たちの未来について語り尽くした後、築地で一緒に食事をすることになります。これは、一見穏やかなひとときですが、彼らがここまでに歩んできた苦悩や絆の強さを象徴するシーンです。戦国時代であれば、戦場での束の間の休息、あるいは共に戦い抜いた者同士の打ち上げのようなひとときに思えます。歴史ドラマファンとして、このような平凡な日常が持つ尊さに心打たれるのです。

一方、気仙沼では耕治(こうじ)と亜哉子(あやこ)が、震災で家族を失った新次(しんじ)を訪れます。新次は、亡き妻・美波(みなみ)の死亡届に自ら印を押すことで、過去に区切りをつけ、息子・亮(りょう)の負担を少しでも軽くしてやりたいと悩んでいます。この「家族の区切り」をつけるというテーマは、戦国時代の武士が家の存続と個人の心情の間で揺れ動く様に似ています。百音たちが未来に進もうとするのと対照的に、新次は過去に囚われたままの苦しみと向き合っているのです。歴史的な視点から見れば、過去の犠牲を乗り越え、未来を築こうとする覚悟が垣間見えるのです。

また、百音と亮の関係も印象的です。亮はコインランドリーで百音と二人きりになり、自分の思いを打ち明けようとしますが、百音はその感情を受け入れることができません。百音の冷静さは、時代に流されず己を貫こうとする者の強さと感じられます。歴史の中で家族や仲間を守りつつも、自らの道を進むことを選んだ英雄たちのように、百音もまた、誰かに寄りかかることなく自分の道を見据えようとしています。

最後に、未知(みち)が百音に「正しいけれど冷たい」と言うシーンは、ドラマ全体を象徴するような言葉です。未知の言葉は、百音の強さを指摘する一方で、その強さが他人にとっては無情に映ることも示唆しています。これは、歴史ドラマで時に仲間に対しても冷徹に正しさを貫いた偉人たちの姿を彷彿とさせます。

震災という過酷な経験を背景に、それぞれが自分の役割を全うしようとする『おかえりモネ』は、時代を超えて共感を呼ぶ普遍的なテーマを描き出しています。彼らがどのように成長し、過去を乗り越え、未来へと進むのか、目が離せません。