映画とドラマに沼る主婦

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大河ドラマ『炎立つ』平安時代前期の朝廷と東北地方の関わりは?

平安時代前期の朝廷と東北地方の関わりは、日本の歴史において重要な局面の一つです。この時期、朝廷は東北地方を「日本」の一部として組み入れることに強い関心を持っていました。奈良時代から平安時代にかけて、東北地方は「蝦夷(えみし)」と呼ばれる人々が住む地域でしたが、朝廷はこの地域を支配下に置くために多くの努力をしました。

 

具体的には、724年に多賀城を設置し、東北地方の政治・軍事支配の拠点としました。しかし、蝦夷の人々は朝廷の支配に抵抗し続け、特に蝦夷の首長である阿弖流為アテルイ)は朝廷軍に対して勇敢に戦いました。阿弖流為は地形を活用した戦術で朝廷軍に対抗し、一時は朝廷軍を押し返すことに成功しました。

 

朝廷が東北地方に執着した理由は、経済的な面と桓武天皇の施政方針にありました。経済面では、東北地方から金鉱脈が発見され、朝廷にとって非常に重要な財源となりました。桓武天皇は「軍事と造作」を政治方針とし、東北地方の支配地域を拡大して国の財政を安定させようとしました。

 

このように、平安時代前期の朝廷は東北地方の経営に力を注ぎ、蝦夷との関係や内政において多くの課題に直面しながらも、日本の国土を現在の形に近づけるための基盤を築いていったのです。この時代の出来事は、後の歴史、特に「前九年の役」と「後三年の役」に大きな影響を与えました。