映画とドラマに沼る主婦

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大河ドラマ『葵 徳川三代』三代将軍の家族たちは?

徳川家康、秀忠、家光の三代将軍についての家族は以下の通りです。

 

徳川家康は、江戸幕府の初代将軍であり、多くの子供たちがいましたが、その中で後継者となったのは徳川秀忠です。家康の正室は築山殿で、彼女との間には長男の信康がいましたが、信康は謀反の疑いで処刑されました。次男の結城秀康豊臣秀吉の養子となり、その後結城氏に養子に出されました。このため、三男の秀忠が家康の後継者として育てられました。

 

徳川秀忠は、家康の三男として誕生し、母親は西郷局(お愛の方)でした。秀忠は天正7年(1579年)に遠江国浜松で生まれ、幼名は長丸でした。秀忠は家康の関東移封に伴い、武蔵国松山城1万石を与えられました。秀忠の正室はお江(崇源院)で、彼女は豊臣秀頼を産んだ淀の方の妹でした。秀忠とお江の間には多くの子供たちがおり、その中には後の三代将軍となる徳川家光も含まれています。

 

徳川家光は、秀忠の次男として慶長9年(1604年)に江戸城西の丸で生まれました。母は太閤豊臣秀吉の養女・達子(浅井長政の三女)でした。家光は江戸幕府の第3代将軍として在職し、1623年から1651年まで務めました。家光の正室は鷹司孝子で、側室も複数いました。家光には子供がいくつかおり、その中には後の四代将軍となる徳川家綱や五代将軍となる徳川綱吉も含まれています。