映画とドラマに沼る主婦

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『瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜 』の海兰察が実際に恐れられた理由とは?

『延禧攻略』を観たことがある方は、乾隆帝の近くに仕える侍衛として、富察・傅恒のような俊秀な人物とともに登場する海兰察(ハイランチャ)を覚えているでしょう。劇中では、温文尔雅(おっとりした性格)で善良な人物として描かれていますが、実際の歴史上では、彼は非常に異なる人物像を持っていたのです。なぜ海兰察は「妖人」と呼ばれることになったのでしょうか?

1. 戦場での勇猛さと血を好む性格

海兰察は、満洲の旗人で、乾隆帝の時代に数々の戦闘で活躍しました。特に注目すべきは、彼が1755年に初めて参加した准格尔の平定戦において見せた戦闘力です。彼は単独で敵の首領を追い詰め、見事に討ち取るなど、その勇猛さを証明しました。この戦いをきっかけに、海兰察は数々の戦闘で名を挙げ、乾隆帝からも深く信頼されるようになります。

特に注目すべきは、海兰察が参加した「十全武功」と呼ばれる戦役の数々です。準格尔の叛乱、清缅戦争、大小金川戦争などに従軍し、数々の戦功を上げました。彼の戦場での姿は、まさに戦士そのものであり、数えきれないほどの敵を討ち取ったため、その姿は敵軍にとっては恐怖そのものでした。

2. 食欲の異常さと性欲の強さ

海兰察は、その戦場での勇猛さだけでなく、日常生活においても特異な性格を持っていました。彼の食習慣は驚くべきもので、戦場ではしばしば毒虫や蛇を捕えて生で食べていたと言われています。特に大蛇を好んで食べていたそうで、これは普通の人では考えられない習慣です。このような食習慣が彼に「妖人」と呼ばれる理由の一因となったのでしょう。

また、彼には性欲が非常に強かったという一面もあります。彼は作戦中に、女性を求めて集めることを部下に命じ、その欲求が満たされないときには、なんと牛を使うという異常な行動を取っていたと伝えられています。このような習慣も、現代人にとっては理解しがたいものであり、時代背景を考えても異常に感じられ、「妖人」と呼ばれる所以となったのです。

3. 傲慢さと異常な行動

戦場での功績が大きくなるにつれ、海兰察は次第に傲慢になり、周囲の者に対しても高圧的な態度を取るようになりました。彼は軍の先輩や同僚を顧みず、時には乾隆帝の寵愛を背景に、上司や部下に対しても過剰に厳しく、攻撃的でした。特に、和珅との衝突は有名で、和珅の行動に不満を抱いた海兰察は、ついにはその命を狙うほどでした。

そのような言動から、彼の行動は「常識を逸脱している」と見なされ、「妖人」と形容されることとなりました。彼の言動が常に予測不可能で、規範を無視していたことが、周囲にとっては恐怖を引き起こす要因となったのでしょう。

結論

『延禧攻略』で描かれた海兰察は、温厚で優しげな人物としての側面が強調されていますが、歴史上の海兰察はまったく異なる人物像を持っていたことがわかります。戦場での勇猛さや異常な食習慣、そして性欲の強さといった特異な一面が、彼を「妖人」と呼ばせた理由です。彼のような人物が実際に存在したという事実は、まさに歴史の面白い部分であり、過去の人物に対する理解を深める上でも重要な要素となるでしょう。