映画とドラマに沼る主婦

youtubeチャネル開設しました。登録よろしくお願いします。がんばります!

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」第42話のあらすじ

NHK大河ドラマ軍師官兵衛」第42話のあらすじは以下の通りです。

軍師官兵衛」第42話「太閤の野望」

 

天正19年(1591年)3月、朝鮮通信使が帰国し、秀吉のことを報告しますが、報告内容は西人派と東人派で分かれていました。西人派は戦争が近いことを警告し、東人派は「日本の侵略はあったとしても先の話」と否定します。結局、政権派閥だった東人派が戦争の警告を無視し、対日本の戦争準備はほとんど行われませんでした。

 

同年6月、宗義智が釜山を訪れ、「日本は大明と国交を通じたい」と伝えますが、朝鮮の朝廷は日本の使者の傲慢さに怒り、義智に何の返事も与えず帰国させます。これ以降、日本との通信は途絶え、釜山浦の倭館に常時滞在していた日本人数十人も帰国し、ほとんど無人となります。

 

豊臣家の世継ぎ鶴松は僅か3歳でこの世を去ります。秀吉は官兵衛に肥前(現在の佐賀県唐津市)のよき所に城を建てるよう命じ、朝鮮へ渡る支度をします。官兵衛は必死に引き留めようとしますが、秀吉の意思は固く変わりません。秀吉は「もはやこのわしにはこの事以外に望みはない!明国を我がものにするのじゃ!」と宣言し、家臣たちに大陸への出兵を宣言します。

 

天正1912月、秀吉は関白の位を甥の秀次に譲り、自らは太閤と称します。これ以降、秀吉が住まいとしていた聚楽第には秀次が住むこととなります。関白職は譲っても軍を動かす権限や広大な領地などは秀吉の元にありました。秀次にとっては、至って不安定な身分であると言えました。

 

鶴松を失った淀君の心は晴れず、いつまでも鶴松がいた部屋に閉じこもり塞ぎこんでいました。官兵衛は肥前名護屋に明との戦いの前進基地となる城の普請を進めていました。家具が運び込まれ、城の中の様子を見渡し、善助と長政、官兵衛がいました。

 

秀吉は諸大名に渡海しての出兵を命じ、自らは官兵衛に築かせた肥前名護屋城に陣取ります。関白の座を譲り太閤と称する天下人・秀吉を止められる者は誰もおらず、官兵衛や長政も朝鮮へと出陣します。

 

このエピソードでは、秀吉の野望とそれに伴う官兵衛の苦悩が描かれており、歴史的な背景と個人の感情が複雑に絡み合うドラマチックな展開が特徴です。